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普門寺 (広島市)(ふもんじ)は、広島市内にある曹洞宗寺院。山号は八屋山。本尊は毛利家由来の聖観世音菩薩。広島新四国八十八ヶ所霊場、第六十九番。 == 歴史 == 天平12年(740年)、行基が行脚中に藝州吉田に滞在した折、「時おり河底から一筋の神光が発し、山頂の樹上に掛かる」という村人の話を聞き、七昼夜修禅念誦した。すると、現れた老翁より暗示を受け、漁師に河底へ網を下ろさせると、観音様の像が上がった。その端厳な妙相に大いに喜ばれ、彼の地に大士堂を建てさせて尊像を安置した。 天台僧頼円が、雪中に勧行し今にも餓死しそうな状態でこの堂に立ち寄った際、八屋柿(蜂屋柿 / 蜂谷柿か)を手にした老翁が現れて命を救われた。 山号はこの故事に由来する。 毛利元就が吉田に城を構えていた頃、祈願することがあってお堂に通夜すると、暁夢に大士の妙相が現れ、軍配団扇を授けられた。 その孫、毛利輝元は久しく子どもに恵まれず、お堂に通って祈願すると、嫡男となる毛利秀就(長州藩初代藩主・松平長門守)を授かった。 『知新集』によると、当寺は古くは観音坊と呼ばれており、天平12年(740年)に芸州吉田村に開基し、毛利時代には打越村、広瀬村と転々としたとある。福島正則の時代に至って現在地に移転され、「八屋山普門寺」と名付けられた。御開山は、國泰寺三世十岫宋智(じっちゅうそうち、 - 1660年)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「普門寺 (広島市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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